内藤 鳴雪(ないとう めいせつ)

(弘化4年4月15日〜大正15年2月20日・1847〜1926年)
俳人。松山藩士内藤同人の長男として東京に生まれた。本名 素行。藩校明教館・昌平黌(しょうへいこう)に学び、愛媛県官、文部省参事官を経て明治22(1889)年、松山藩の常盤会寄宿舎監督となり、寄宿舎入りした正岡子規の感化で俳句を始めた。松尾芭蕉の「猿(さる)蓑(みの)」から元禄俳句の真髄を理解、虚子、碧梧桐などとともに子規日本派の興隆に力を尽した。和漢の学に通じ脱俗飄逸(ひょういつ)な人柄と相まって、一門の尊敬と親愛を得、重鎮となった。「鳴雪俳句集」「鳴雪自叙伝」「鳴雪俳話」など著書は多い。

初冬の竹緑なり詩仙堂
元日や一系の天子不二の山
東雲のほがらほがらと初桜