坂の上の雲老舗 食べる 丸木醤油醸造元



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坂の上の雲 老舗MAP 食べる編 丸木醤油

丸木醤油

ただひたすらにコツコツと 親しまれ、愛され続ける味

瀬戸の島々に親しまれ、愛され続ける味。

丸木醤油松山市三津地区の丸木醤油 「手前味噌」という言葉があるが、「手前醤油」という言葉もあっていいように思う。手前味噌とは「自分のことを自慢する」を意味するが、元々は自家製の味噌を自画自賛したことから始まるらしい。さらに広げて「自分の口に合ったものが最も美味しく感じる」と解釈するならば、醤油も馴染みの味が一番ということになる。

 松山市三津地区で古くから醸造されている丸木醤油。少し甘めのその味は、煮てもよし、刺身醤油としてもよし、瀬戸の魚介類との相性は絶妙だ。地元はもとより、三津の港から発着する忽那諸島に暮らす人々にも、「丸木の醤油でないと」と熱烈な支持を受けている。

手間暇かけてじっくりと。昔ながらの製造工程。

製造風景丸木醤油の醸造風景 丸木醤油は、「三津の渡し」から歩いて約2分。かつては問屋町で賑わった通りに、創業当時とほとんど変わらぬ佇まいで、営業を続けている。
 店内に一歩足を踏み入れると、そこにはドラマのセットではないかと思われるほど、レトロな懐かしい空間。

 もろみの仕込みは樽、室(むろ)、一升瓶は木箱に詰められ、住居には箱階段。漂うもろみの香りに誘われて、大正・昭和の時代にタイムスリップしたのではないかと錯覚するほどだ。

 醸造風景を覗かせてもらうと、それは大げさな機械を使わない昔ながらの製造工程。小麦を煎り、砕き、小麦と合わせ蒸しあげる。常に湿度、温度を保った室(むろ)で麹を造り、塩水と共に樽に入れ、もろみを熟成させる。樽の中を絶えずかき混ぜ空気を入れる。生揚げ(きあげ)を搾り醤油が生まれる。できあがるまで約1年。店主は昔ながらの手法でもろみをかき混ぜる。来る日も来る日も繰り返すこの工程が、味の良し悪しを決めるのだという。

瀬戸内海の要、行き交う船で賑わった三津の町。

三津の渡し船三津の渡し船 丸木醤油の創業は昭和9年。小豆島の清水醤油の伊予支店を買い受けて創業を始めた。当時の三津は瀬戸内海の要衝。エンジンと帆の両方で走る木帆船が行き交い、賑わう町には遊郭もあった。2代目・丸木昭三さん(現76歳)が小さい頃の店の近辺は、まだ埋め立てられず、裏に出ればすぐ海。機帆船の帆柱が港内いっぱいにひしめき合う光景が、今でも懐かしく目に浮かぶと言う。

 やがて太平洋戦争、そして終戦。占領軍の米兵一万人余りが三津浜に上陸した。昭三さんが国民学校5年生の時であった。梅津寺の沖に占領軍の軍艦が来た光景も鮮明に覚えているとか。

 昭和20~30年代にかけては、みかんの全盛期。瀬戸の島々はみかん景気にわき、拠点となる三津も盛況を極めた。その中で、「醤油」は日本の食卓には欠かせない暮らしの必需品、順調に売り上げを伸ばしていった。
 所得倍増政策時代は、売る商品がなくなるくらい「飛ぶように」売れた時代であった。

ただひたすらにコツコツと。変わらぬもの造り続けているだけ。

2代目 相原克俊さんの2代目・昭三さん 「商売は“商い(あきない)”と言われるように、飽きることなく、辛抱強く。牛のヨダレの如く、コツコツと努力すること」と、語る2代目・昭三さん。「何も特別のことをするのではなく、従来のしきたりを守って、変わらぬ商品を造り続けて行きたいと思います」と穏やかに話してくれた。

 今では希少価値の「樽仕込み」醤油。舌に馴染んだ人に、日本一美味しく、グルメを追及する人には新鮮な発見かもしれない。また3代目が推奨するダシ入り醤油、そして「ひめ醤油」は時代にマッチした「ワンランク上」の味を提供してくれる。

 もろみを醸すように、じっくりと。今は人通りもまばらな三津の路地の一角で、昔なじみのあの味が変わることなく熟成されている。


ひめ醤油醸造風景丸木醤油


相原商店へ

インフォメーション
丸木醤油醸造元
TEL:089-951-0306
住所 :愛媛県松山市三津1丁目9-20

丸木醤油の思いで

味の決め手も丸木醤油

丸木醤油M.S(62歳)女性
 小さい頃から舌に馴染んだ味。三津の同級生の家に行くと、そこでも当たり前のように丸木醤油でした。特に漁師の家庭が多かったですね。丸木醤油は少し甘めで、調味料はいらず、魚を煮る時は、これだけでいいんです。三津では炊き込みご飯のことをお醤油ご飯と言いますが、我が家ではその味の決め手も丸木醤油でした。おそうめんにも欠かせません。

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