坂の上の雲 老舗MAP 「茶」
株式会社 嶋茶舗
時代に合ったお茶を
明治以来、道後温泉のお茶屋さん
笑顔の素敵な嶋潔社長 玄関ガラスドアを開けると、4代目の嶋潔社長がTシャツ姿で、にっこりと出迎えてくれた。休日には、和服に着かえてお茶をたてるという、豪放かつ情緒豊かな方である。
創業116年の㈱嶋茶舗は、明治28年(1895年)、現在の松山市立花町付近で創業した。ちょうど、道後温泉本館が改築落成した翌年にあたり、以来本館のお茶屋さんとして道後温泉の歴史とともに歩んできた。
家業から流通業へ、攻めの経営
㈱嶋茶舗 店舗 当時の立花町は、街道(現在の国道33号線)の要衝として、三津浜からの海産物、久万方面からの農産物などが集まり、魚屋、八百屋、乾物屋などで賑わう物流の拠点であった。
現社長の父君・一義氏が昭和30年代に3代目を引き継いだが、そのころは、スーパーなど流通業が将来成長しようかという変遷期。「もっと商いがしたい」と、昭和53年、立花町の店を母親に任せ、現在の朝生田町に拠点を移した。
潔社長は、51年に入社している。「当時、このあたり一面田んぼで、家はなかった。立花の先代の母は、“商売人はそれに徹し、土地など買ったりしたらあかん”と言っていたようだが」と、振り返る。
茶の卸、販売で中四国ナンバーワン
お茶のブレンド作業 以後、取引先は県内を中心に四国一円で約500店、スーパーが9割方を占め、番茶、煎茶、玉露、健康茶など茶全般の卸、小売りで年間約4億円を売り上げ、同業種では中四国ナンバーワンとなっていた。
社長への就任は19年前である。その頃になると、「お茶は、日本人にとって、なくてはならない存在だが、ライフスタイル、嗜好、飲料形態の多様化などに伴ってお茶は残るが、お茶屋は残らん」と言われるようになっていた。
潔社長も、先代ゆずりの「攻めの商い」に転じる。異分野の洋菓子販売を手掛けた。「タカラブネ」のフランチャイズで、百貨店やスーパーに出店し、順調に売り上げを伸ばし、「(顧客を作るのに、)お茶は10年かかるが、ケーキは1年」と、自信を深めた。
茶舗の伝統を残し、企業として挑戦を
お茶の葉をチェックする嶋社長 先代は、「80歳くらいまで元気で事務所に座り、お茶や茶袋に触れているのが楽しみ」という、生来、お茶を愛する人だった。しかし、経営については「茶はロスがないが、ケーキのロス率は高い」などと、解釈の違いで口論もあったという。そうした葛藤に対し、潔社長は「物事は変えてゆかないと行き詰まる。家業なら残るが、企業となると難しい。お茶をベースにしながら、これからも挑戦を続ける」と、自らの方針を貫いてきた。
現在の商品扱い割合は、お茶、健康茶、輸入食品(コーヒー、チョコレートなど)が、50・35・15の3本柱となっている。
「町たんけん」の児童にもファンが
嶋社長 潔社長が、文箱から子供たちのお礼状を取り出した。毎年、「町たんけん」と言って、近所の石井北小学校2年生が、会社見学にやってきて、社長自ら工場を案内している。楽しい出会いの一つでもあるようだ。
礼状には、「お茶を飲ませていただきありがとう」「またいきたい。いろいろおしえてください」など、感謝の言葉がならんでいる。「子供のころから、お茶に親しみを持ってもらえれば」との期待もある。
「日本の各産地、愛媛県産の茶を使い、今の時代に合ったお茶を研究し、伝統ある日本茶、新しい日本茶を伝えていきたい」というのが、これからの抱負。後継者は、県外でお茶修業中とのことである。