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マナベスポーツ
スポーツのことならマナベで学ぼう
愛媛のアスリートが集う大街道の老舗
大街道 マナベスポーツ 松山市の大街道を北から入るとすぐ右手にスポーツ用品店「マナベスポーツ」がある。
東京オリンピック後、国民のスポーツ熱が盛んになり、それに伴ってスポーツ用品も多種多様化される。
そこで現在、四代目社長の真鍋信夫氏は、お客様のニーズに応えるべく多品種を揃えて、専門店としてどのように社会に貢献していくべきか、日々模索されている。
マナベスポーツの歴史は江戸時代初期にはじまるが、当時松山藩に足袋を納めていた人が何という名前で商いをしていたか定かではない。
その足袋屋さんには子供がなかったので、新居浜から出てきて働いていた曾祖父の真鍋房平氏が見込まれて「足袋屋まなべ」として創業されたのである。しばらく足袋の製造・販売を行っていたが大正3年、二代目・真鍋久太郎氏が今の一番町に移転し、本格的に足袋屋をはじめたのがマナベスポーツのスタートであった。それから約100年。今もって大街道を拠点に愛媛県内スポーツ用品のリード・オフ・マンとして活躍されている。
必然的に足袋屋から雑貨店に
ブランドシューズが並ぶ 足袋を専業としていた「足袋屋まなべ」も近代化の波に見舞われ、自社で製造することをやめ、大手メーカーの足袋を販売することになる。そのころから帽子、ネクタイ、ソックス、カッターシャツ、下着など洋品・衣料品が必然的に増えていった。
店の名前も「マナベ雑貨店」と改称。当時“福助足袋”に人気があったので、福助の大売り出しをして人集めに努めていたとのこと。そのうち、昭和の初期になって三代目・真鍋平一郎氏(信夫氏の父)が任されるようになる。しかし、しばらくして戦争が勃発。材料の輸入がなくなり、肝心の商品が途絶える。そのうえ、平一郎氏が兵隊にとられるなど、商売を一時中断せざるを得ない状況に追い込まれる。
終戦後、バラック小屋で商売を再開。するとあちこちから、こんなものを売ってみてはと声がかかる。やってみれば、何もない時代、売れるは売れる。これに元気づけられ、もう一度本腰を入れて商売をしてみようと決意される。
時代は一変、大街道に人が帰ってくるようになると、遊びに来ていた人達にスポーツ用品、特に布で縫ったグローブなどがよく売れる。「当時、母(えい子さん)はグローブを縫うのに追われていた。私も父と一緒に関西汽船で大阪に商品を仕入れに行ったことを思い出します。思えば大街道の復活は私たちの復活でもありました」と、信夫さん。
こうしてマナベ雑貨店は「マナベスポーツ」店として生まれ変わっていく。
一方、大街道には三越デパートが開店。映画館や遊戯場が増えはじめ、大街道は松山随一の商店街となっていく。そこで昭和55年には5階建てのビルを建設。1階から3階までは店舗、4階は事務所と倉庫、5階は住居とした。
若者に大人気!バスケット用品専門店「パワーハウス松山」でパワーアップ
バスケット用品専門店「パワーハウス」 平成22年になって、郷土から一流のバスケット選手が育っていくのを見すえて、バスケット用品専門店「パワーハウス」を一番町にオープン。ここには、バスケットに関する商品が自社オリジナル商品と一緒に、所狭しと並べられている。
真面目にしっかり 注文に速く答えて早く納品
二代目・窪田良和氏 最後に、真鍋信夫社長に長年培ってこられた秘訣とこれからのスポーツ用品店の展望を聞いてみた。
「やはり、信用を落とさないようしっかりと真面目に働くこと。外商面では、お客様の注文に速く答えて、早く納品、早く喜びがもらえるよう努める。また、学校関係先が多いことから、先生方にアドバイスをいただきながら、いろいろなことを教えてもらうこと。一方、全品種の在庫を豊富に揃えておくこともサービスのひとつとして考えている」とのことであった。
将来の展望については、現在県内に20社余りのスポーツ店があるが、高齢者社会にどう対処していくべきか、ケア商品の開発、それをサポートしていく人の育成など、スポーツ用品専門店として社会にどのように貢献していくべきか模索しているという。
さらに、高齢者に対して運動する際のアドバイスも聞いた。
・ムリをせず、長く続けること。
・自分に合った軽目のもので運動の回数を増やすこと。
・スピードはいらない。ゆっくりと行うこと。
と話してくれた。
スタッフとの情報交換松山発 オリジナル商品夢がひろがる真鍋信夫社長
インフォメーション
マナベスポーツ
TEL:089-941-3075
住所:愛媛県松山市大街道2丁目4-13
営業時間 10:00~19:30
定休日 水曜日
☆パワーハウス松山
TEL:089-913-6001
住所:愛媛県松山市一番町二丁目1-15マナベスポーツセンター2F
営業時間 10:30~19:30
定休日 水曜日
パワーハウス松山のサイトへ
「出会いそして深い絆へ」
松山市 井上さん
私たちは毎日さまざまな「出会い」を体験します。スポーツにも感動を生む勝負、心を癒す夢への頑張りなど、さまざまな出会いが待っています。
それらは私たちの一瞬を豊かなものにしてくれます。
私とマナベスポーツとの出会いは感動を与えてくれた自分の子供たちによって始まりました。
子供はだいたい小学3年生くらいになると好きなスポーツを始めます。我が子供たちも親が強制したこともなく、自然に友達仲間を誘い合って始めたようです。
親はスポーツとは縁遠く、子供もすぐ辞めるだろうと思っていたのですが、スポーツは勝敗によって感動と夢があるため、親も驚くほどに長続きして、マナベスポーツには用品の購入などを通じ随分お世話になりました。
子供心に、マナベスポーツには「かっこよく」「欲しいもの」がいっぱいある、そのためには試合に出て勝って、親を説得せねば買ってもらえないと、練習を頑張り努力もしたようです。
その成果もあり、マナベスポーツへはよく通わせていただき、今も親子でいい思い出となり、深い絆となっております。