坂の上の雲老舗 食べる 重松商店



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坂の上の雲 老舗MAP 食べる編 重松商店

重松商店

天然素材と手づくり 家族の笑顔で生まれる老舗のこんにゃく

江戸時代からの良質の硬水に恵まれ、大唐人の神輿の地で創業

重松商店重松商店の工場内以前は松山に20軒ほどあったこんにゃくの製造元は、いまではわずか2軒。その一軒の重松商店は、約150年を数える現在も一度も移転することなく、中ノ川通りの新立近くから多賀神社まで斜めに抜ける永木町で店舗兼工場を操業している。秋の祭りの頃には昔はその参道を大唐人の御輿が練り歩き、こんにゃくも飛ぶように売れて、一段と活気づいた。
重松商店重松商店 隣の格子窓の旧家は元通産大臣の故・菅野和太郎の生家だが、松山空襲の際、その手前で戦火が止まった。そのためいまも風格のある佇まいを残し、並びの重松商店も戦火を免れた。かつて唐人町と呼ばれたこの界隈は、明治から大正にかけては伊予がすりやタオルなどの製造業の中心地だった。石手川と中ノ川に挟まれ、水量が豊富で上質の水に恵まれたことから、その水を求めて工場が集まったのだ。ちなみに当時は中ノ川でもウナギやアユが獲れ、ホタルが飛んでいたという。

 こんにゃくの製造にも良質の水が欠かせない。重松商店では江戸時代からの井戸を使ってきた。しかし水位が下がったため、30年ほど前から新たに掘った井戸に切り替えている。

丸屋新兵衛の名を屋号に掲げて創業

四代目の重松堅さん四代目の重松堅さん 初代が丸屋新兵衛の名を屋号に掲げて創業したのは、明治9年のこと。誰もが税金を納められる時代ではなかった当時、初代は成功して納税者だったことを、歴史愛好家が検証していた。二代目の清吉さんは遊び好きだったが、その息子で三代目の重十郎さんは朝の2時頃から大八車に提灯を下げ、横河原までこんにゃくを卸しに行った人だった。けれど終戦直後に重十郎さんは病に倒れて仕事ができなくなった。
 その夫に代わり、妻のヤエさんは子どもを背負って工場を切り盛りした。「戦争をくぐってきたからどんな困難にも打ち勝つ気構えがあった。手先が器用で、仕事の合間に手編みの服などを作ってくれた。90過ぎで死ぬまで現役だった」と、四代目の重松堅さんは老舗を守り抜いた母への思いを語ってくれた。

あくまで品質第一、天然素材と手づくりのおいしさにこだわって

大街道にある出雲屋五代目を継ぐ息子の雄二さん 現在は堅さんと妻の陽子さん、将来五代目を継ぐ息子の雄二さんも妻の愛さんとともに、家内工業で数少なくなった手づくりのこんにゃくを製造している。板こんにゃく、糸ごんにゃく、団子こんにゃくなどの受注や在庫に合わせて作るため、毎日製造するわけではない。ただし繁忙期には不休の作業となる。

 こんにゃくは保存食として、江戸時代に水戸藩で生れた。全国のこんにゃく芋の90%は群馬県産。芋は5月に植えて11月に収穫される。重松商店では以前は生芋を使っていたが、40年くらい前から芋を乾燥して作った製粉をもとにこんにゃくを作っている。
 芋1Kが粉になると100gになり1割に減る。粉の方がコストは掛かるが、扱い易く、保存が利く。粉をこんにゃくに加工すると、時短になってしかもコシが出ておいしくなるというメリットもある。
戦前の大街道妻の陽子さん しかし昭和57年の夏には、原料のこんにゃく芋が台風10号の被害に遭い、粉の価格が10倍にまでハネ値上がったことがあった。そしてその後3年間高値が続いた。それでも天然素材と丁寧な手づくりにこだわり、味と品質追求への気概は譲らなかった。いまも防腐剤などは一切使っていない。アレルギーにも対応できる安全な食品を目指しているのだ。そのため学校給食にも使われている。

ときに演歌が流れる早朝の工場で、こんにゃくは産湯につかる

三好壽恵子さん重松商店のこんにゃく 工場の朝は早い。5時過ぎには湯沸かしのボイラーが点火。大きな容器にこんにゃく粉と、色づけのためのアラメと呼ばれるひじきなどの海藻の粉を入れ、それをたっぷりの湯で適度な濃度に溶く。そこに凝固剤として水で溶いた水酸化ナトリウム(食用の硝石灰)を入れ、練り機で混ぜる。練りは時間を計るが、外気の温度の違いなどによって必ずしも時間通りにはいかない。そこで手の感触で練りの状態をみながら、その都度時間を調整する。板こんにゃくはセイロの木型に取り、固まったら切り目を入れる。団子こんにゃくなら椀を使って丸め、石灰入りの湯に落として固める。なかには先代が自ら作った70年以上使ったヒノキのセイロがあり、いまでも現役で活躍中だ。

 早朝の冷気のなかで湯気の上がるこんにゃくを食べてみたいと思ったが、この段階では未完成。そこからさらに100°近くの湯で沸かすこと12時間以上。ゆっくりと時間を掛けて熟成させて仕上げる。都合40時間近くかけて製造するため、翌日にしか食べられないのだ。 

こんにゃくは、いまこそ見直したい優良食品

出雲屋の暖簾重松商店のオリジナル商品 かつては祭り、正月、節句がこんにゃく製造の三大紋日とされ、“てんてこ舞い”した。高度成長の頃は良い物を作れば面白いように売れた。しかし20年ほど前に規制緩和でスーパーの進出が相次いだ頃から、徐々に右肩下がりになり、状況は一変。惣菜や冷凍食品などの手軽な食品が好まれるようになって、家庭でのこんにゃくのニーズが減ってきた。

 成分の97%が水分のこんにゃくは、低エネルギー食品の代表格といえる。固形成分の多くはグルコマンナンという食物繊維のため、昨今注目を集める“メタボ”対策や糖尿病、ダイエットにも強い味方だ。マンナンは腸の掃除もしてくれるので、大腸癌や動脈硬化の予防にもなる優れた食品でもある。

 昔の人は湯で温めたこんにゃくを温湿布にも活かして、こんにゃくの力を経験的に知っていた。ところが家庭での手づくり料理がますますおざなりになりつつある現在は、医食同源の智恵が昔ほど活かされなくなっている。

 そこで息子の雄二さんは、メタボ対策としてサラダ用のこんにゃく(夏季限定)を開発。また小学生の製造工程見学の実施や、学校に出向いてこんにゃく作りの実演を見せるなどして、健康食品であるこんにゃくの普及にも努めている。


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インフォメーション
重松商店
TEL::089-931-3656
住所:愛媛県松山市永木町1丁目31
営業時間:7:00~19:00
定休:日・祝日(不定休)

世代を越えたお付き合い

「重松商店さんは、とにかく家族の仲がいい」

重松商店松山市エフコ束本店専務 浅川修司さん
 うちは戦後間もなくの頃には、浅川商店の名で食料品や雑貨を売っていました。現在のスーパーマーケットスタイルになったのは、昭和48年のことです。重松商店とは三代のお付き合いになります。先代の頃のことはわかりませんが、重松さんはとにかく真面目で実直な方で、家族も仲がいい。以前は夏休みにはお父さんと一緒に息子さんも配達してくれていました。近所にどんどんスーパーができても、律儀な方で、うちだけに商品を入れてくれています。商品づくりにもそんなところが現われています。昔から安全な食品にこだわっていて、商品も進化しています。息子さんもセンスが良くて、突拍子のないものではなく、安心安全でいまの時代にマッチした商品を開発しています。
 子どもの頃、親に連れられて買い物や映画を見るために大街道に出かけるのがとても楽しみでした。“よそ行き”に着替えて、電車に乗って、三越やいろんな店をまわることが、いま考えるとまるで旅か冒険でもしたように感じたりしました。何歳の時かは覚えてないけど、三越の食堂でお子さまランチやホットケーキを食べたことはすごく覚えてます。小学校の高学年の頃、映画を見た後、初めて出雲屋でうなぎを食べた時はすごくおいしくてびっくりしました。それまで家で食べたこともほとんどなかったので、うなぎが大好きになりました。その頃はあんまり行けなかったけど、自分も子どもをもってからは、大切な思い出にしてほしくて、今もときどき出雲屋に行ってます。

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