坂の上の雲 老舗MAP 食べる編①
イタリヤ軒
一度は行ってみたいと憧れた 松山っ子の最上デートスポット
西洋料理が、もの珍しかったあの頃に
レストラン イタリヤ軒 街頭・店頭テレビに人が群がり、巷(ちまた)では「君の名は」の真知子巻きが流行した昭和28年。松山市二番町に西洋料理のお店が誕生した。その名もハイカラな「イタリヤ軒」。店名の由来は、創業者の窪田繁正氏夫人が当時愛読していた「家庭画報」に取り上げられていたイタリア・ファッションからヒントを得たという。松山市大街道から東に入ったこの界隈は当時、北京町と呼ばれ市内でも屈指の賑わいを見せていたところ。周辺には和食の「すし丸」、中華料理の「泰平楽」、天ぷらの「揚げてん」など、人気店がひしめきあっていた。
飲食の経営は初めてだった窪田氏は、大阪からコックを招き、社長でいながら彼に西洋料理の基本を学ぶ。当初のメニューは、スパゲティやマカロニを使ったもの、ピザ、ピラフなど。しかし、戦後まもない当時の日本人にはなかなか理解できにくい料理だった。マカロニは「穴のあいた麺?」スパゲティは「うどんでも素麺でもない麺?」といった調子。チーズにいたっては「腐っている」と訴えられたというエピソードも残っている。.
鉄板焼き誕生までの道のり
オムライス そんな「イタリヤ軒」も時流に乗り、活気を増していく。西洋料理も徐々に市民権を得るようになった。また、庶民にはまだまだ高嶺の花であったテレビを店内に導入した際には、「相撲」と「プロレス」の中継時に、カレー一品、ピラフ一品のお客で店内が溢れかえっていたという。
皇太子のご婚約で「ミッチーブーム」が巻き起こり、岩戸景気の始まりを告げる昭和33年、「イタリヤ軒」は店舗を新築する。時代は、空前の映画ブーム。近くに有楽座という映画館があり、映画の途中で手に判を押してもらい「イタリヤ軒」で食事。その後また映画館に行くといった現象も多々あった。映画鑑賞の後の「イタリヤ軒」での食事は、松山っ子の楽しみの一つとなっていく。業界に先駆けてのラジオCMや新聞での広告も話題となった。
鉄板焼きのビーフステーキ 松山に誕生
イタリヤ軒の鉄板コーナー 昭和36年、順風満帆のイタリヤ軒に思わぬ悲劇が襲う。それは、類焼による火災。1階を残し2、3階を焼失した。しかし、焼け残った1階で営業を続け、昭和43年には泰平楽、すし丸と合同の鉄筋のビルを新築する。一つのビルを何店舗かで共有する業態は、当時では先端のスタイル。これを機に「何か新しい目玉となるメニュー」をと、デビューしたのが、今日の「イタリヤ軒」の看板メニューとなり、その名を広く知らしめた「鉄板焼きのビーフステーキ」だ。これは、アメリカでレストランチェーン「BENIBANA」を成功させ、アメリカンドリームを実現したロッキー青木氏が考案したもの。目の前で見せてくれるナイフのパフォーマンスは「サムライステーキ」として、話題を呼んだ。「イタリヤ軒」の鉄板焼きも例外ではない。華麗なナイフさばき、目の前であがる炎、そのステーキを食べることは、松山っ子の憧れであり、ステータスであった。
「同じことをしっかり守る」を信条として
二代目・窪田良和氏 そして現代。かつて柳並木の真ん中にボンネットバスが通っていたという大街道は、アーケードに覆われ、周辺の雰囲気は大きな変容を遂げた。官庁などの接待が禁止されてから、一人当たりの消費額もずいぶんと少なくなってきた。飲食の形態も多様化し、その変化のスピードは目まぐるしいものがある。ともすると、私たちはその速さに追いつけない年齢となってきた。
こうしたなか、「イタリヤ」軒の店内に足を踏み入れると、どこかしら、ホッとする雰囲気に包まれる。そして何より、その「本物の美味しさ」に感動する。
「別にこれといったことはしていません。ただ同じことを続けていくだけ。本体をきっちり守ることが大切だと思っています。余裕があれば、枝葉でアクセントをつければいいですが、どんな時も本体さえしっかりしていれば大丈夫」と長続きの秘訣を語ってくれた二代目・窪田良和氏。
かつては、とっておきのデートスポットだった「イタリヤ軒」。この店で見合いやデートをして結ばれたカップルも多いとか。先日も、二人にとっての「思い出」の店として、定年最後の記念に塾年カップルが訪れたという。
いつまでも変わらないもの。「昔」を振り返るのではなく、「今」もあるあの頃の味。それは今の世代にも、こよなく新鮮に映るのかもしれない。
イタリヤ軒創業者の窪田繁正氏ハヤシライス
インフォメーション
イタリヤ軒
TEL 089-921-3037
住所 愛媛県松山市二番町2-3-5
営業時間 11:00~14:00 17:00~22:00
定休日 月曜
「オーダーはもっぱらオムライス」
松山市 S.Mさん(69歳)
あれは昭和40年代。兄に連れられてイタリヤ軒に初めて行った時のことは強烈に覚えています。大将がコックさんの帽子を被り、鉄板の上で分厚い肉を焼いてくれる。その肉からは炎があがる。
焼いた野菜はホカホカ。あのステーキ以上のご馳走はなかったですね。
今でも大街道に出たら、妻と二人でよくイタリヤ軒で食事をします。2階の鉄板焼きも当時と雰囲気が同じ。店に入ると懐かしさがこみあげてきます。でも、オーダーはもっぱらオムライス。心から「美味しいなあ」と感じてしまいます。私たちの世代の「舌」に馴染むのでしょうか。あのステーキもまたいつか、何かの「ハレ」の日に、もう一度食べてみたいと思っています。