坂の上の雲 老舗MAP 「泊る」
道後温泉 ふなや
老舗は新店 日本最古の道後温泉とともに
開放的でくつろげるエントランス
開かれたエントランス 伊予鉄の電車を終点の道後温泉駅で降り、伊佐爾波神社に向かって歩くと、大鳥居を過ぎて右手に「ふなや」がある。歴代の天皇にも愛されてきた旅館であるが、敷居が高いのではという心配はご無用。非常に開かれたエントランスになっている。
日本最古の道後温泉とともに
老舗 ふなや 創業380年余 「ふなや」の歴史をひもとく場合、およそ3000年の歴史をもつ日本最古の温泉、道後温泉を抜きにしては語れない。むしろ、道後温泉とともに歩んできたといえる。
創業は江戸時代寛永年間で、当初「鮒屋旅館」として、道後温泉本館(明治27年建設)のすぐ近くにあったが、大正時代の区画整理で、別荘のあった現在地に移転し、終戦後「ふなや」に屋号を変えている。
明治8年、町が道後温泉の運営を始め、代々「ふなや」の主人が何人かいる世話係の1人として温泉経営にあたってきた。本館や又新殿(日本唯一の皇室専用湯殿)の建設や本館大改修など、その時々に大きな役割を果たしている。
歴代の天皇、漱石、子規など多彩
自然を生かした日本庭園 「ふなや」といえば皇族の宿として有名だが、宿客の顔ぶれは実に多士済々である。伊藤博文、新渡戸稲造をはじめ、夏目漱石、正岡子規、高浜虚子など多くの政治家や文人らが滞在し親しんでいる。
漱石は明治28年、松山に赴任し、その秋、子規と「ふなや」に宿泊。「はじめての鮒屋泊りをしぐれけり」と詠んでいる。
「ふなや」を象徴するのが、約1500坪(約5,000㎡)という自然を生かした日本庭園だ。昭和天皇が散策中に発見した葵苔が自生。渓流には食事のできる川席や足湯が設けられており、夏にはホタルが舞い、秋には一面が紅葉する、時を忘れるような空間で、誰でも自由に入場、散策できる。
正岡子規の「亭(ちん)ところ亭ところ渓に橋ある紅葉哉」という句はここで詠まれた。
古い格式を生かしながら、新しい感覚を取り入れる
ロビー展示室 「漱石に誘われ、初めて西洋料理を食わすようになった鮒屋へ行った」と、虚子の記述にあるが、明治後半には本格的西洋料理、ビフテキやアイスキャンディーなどを提供するなど、次々と新しいものを取り入れている。
昭和25年、昭和天皇がご巡幸の際に宿泊された木造2階建ての洋館は、イギリスから資材を取り寄せて建築されたもので、マントルピース、ステンドグラス、シャンデリアなど豪華な内装品は、現在も本館2階ロビーに移設し保存展示されている。
先代社長の鮒田フサさんも先見性があり、昭和38年、鉄筋4階建ての新館建築にあたって、帝国ホテル、ニューオオタニなどを視察。道後の旅館では初めて、エレベーター、自動ドアを設置した。常に時代の変化を読んでいたようだ。
平成5年の全面リフレッシュでは、これも松山の旅館では初めて室内プールを新設。大浴場「檜風呂」「石風呂」も新たに整備し、日帰りの食事客にも温泉が無料で利用できるよう開放された。
「老舗は新店」が、先代から受け継いだ精神
鮒田泰三社長 「そのままだったら、古くなって駄目になる。時代、時代で変わらなければならない」―。現社長の鮒田泰三氏は、先代から「老舗は新店なり」という経営の心を受け継いでいる。「古い伝承を生かしながら、新しい感覚を取り入れ、地元の人たちにも出入りしやすいようにサービスを心掛けています」と語る。
平成23年10月、南館の客室が和の心を取り入れた洋室にリニューアルされた。「俳句の里」をイメージし室内は青色が基調。最新の音響、照明が備えられ、「風呂」は檜、窓からは松山城を望みつつ、広大な日本庭園が眺められる風情豊かな新しい空間が誕生した。
日本庭園が広がるふなや「俳句の里」をイメージした室内新しく誕生した 俳句ラウンジ
インフォメーション
道後温泉 ふなや
住所:松山市道後湯之町1-33
TEL:089-947-0278
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