坂の上の雲 老舗MAP 食べる編 俊成商店
俊成商店
みかんの島・中島 「みんなの店」
トライアスロンとみかんの島・中島
トライアスロンと太陽とみかんの島 中島(旧・温泉郡中島町)は平成17年の市町村合併により松山市に統合された。伊予灘と安芸灘に点在する忽那諸島の中で最も大きな島である。今の若者たちには「トライアスロン」の島と言った方が、馴染みがあるかもしれない。平成22年にはこの島を中心に「松山島博覧会」が開かれ、島の新しい魅力が注目された。
島の中心地・大浦にある「みんなの店」
俊成商店 島の中心・大浦地区で酒・かまぼこ販売などを営む俊成商店は創業90年。親子4代にわたって、島の変遷をみつめてきた。俊成商店の歩みは、島の歴史そのものである。
創業当時、本家は現在の場所の道を隔てた隣に建っていた。当時は機(はた)で絣(かすり)を織っていたという。絣を織るのはその頃の島の産業の一つで、数か所で絣の原料となる藍も栽培していた。初代・俊成春吉さんの時代である。2代目・富行さんの頃になると味噌、醤油、米、雑穀、豆腐などを販売するようになる。
島というと「漁業」と思われがちだが、後のみかん栽培も含め中島の産業の主体は「農業」なのである。さつまいもの「でんぷん」工場もあった。
俊成商店が、大きく変わったのは戦後まもない昭和26年のことだ。島にケーブルが引かれて電気が入ってきた。これによってモーターが使えるようになったのだ。
俊成商店では本格的に「かまぼこ」製造に着手した。これは、島でふんだんに獲れる小魚をミンチにして、撹拌し、蒸して仕上げる。それまでも、発電機を使って細々と作ってはいたが、モーターで撹拌することにより効率がグンとアップした。
みかんの花でむせかえる「黄金の島」
俊成商店の「かまぼこ・練り製品」 やがて島には“みかん景気”が訪れる。みかんの生産は「半年の作業で1年中食べていける」くらいだった。数件の「みかん御殿」も登場した。初夏の頃はあの甘く、かぐわしいみかんの花の匂いで島中がむせかえるようだったという。
その頃、昭和31年、3代目満司さんは現在の位置に店を新築する。店頭に並ぶ品数も増えた。かまぼこなど手づくりの練り製品は、変わらず人気商品だった。俊成商店から少し山に入った通りには、理・美容院、呉服店、家電店、薬局など暮らしに必要な店が軒を連ねていた。島は「元気」だった。店の前に今でも残るレトロなアーケードは、大きな台風が来た後にかけられた。今でも雨の日の買い物には、かなり重宝する。
新しい島の魅力を考える
3代目満司さん しかし、他の町村と同じように、島に若者たちがいなくなった。子どもたちも少なくなった。小学校も1校を残すだけとなる。
そんな中で4代目祐二さんと共に作り続ける俊成商店の「かまぼこ・練り製品」は健在だ。その昔ながらの作り方が、かえって「新しい」と、マスコミにも紹介された。平成23年秋には松山市の「えひめ松山産業まつり(NPO法人大好き中島瀬戸内の再会桜のみかん・うどん)とのコラボ」に出品し、好評を博す。
そして今「松山島博覧会」を契機に、島の魅力が見直されようとしている。80年続いた老舗の佇まい。そこには今も昔も「島」の原点が並べられている。